研ぎ澄まされた感覚

2019年09月19日

研ぎ澄まされた感覚

 父の退院も先月終わりほっとしていた矢先、福祉制度のディサービスや介護補助のヘルパーさんを使わせていただき、何気なく日常生活に戻れたという実感を取り戻しつつあったのだが、今日、午後4時半に再び体調を壊し再入院となった。
 家に帰って以来、もう入院は嫌だ、死ぬのは家で死にたいから、今度、体調に変調があっても、すんなり、お浄土へ参らせてもらうから、「もう入院は絶対させるな」と口やかましき、言われていた矢先のことだった。
 午前中に弟に家に来てもらい、畑の種まきを終えての話だ。母を車いすからベッドに移動したり、畑作用管理機(簡易の耕運機のことだ。)や草刈り機を使い畑の草を刈ったりしたせいだろうか、腹の腹筋部分がチクチク痛む。イチゴ畑の畝を今日は弟と作ってみたが、土を掘り起こすたび、腹筋の部分が痛みを覚えて思うようにこちらも今は動けない状態だ。疲れをいやすため、午後は珍しく昼寝タイムを取らせてもらった。
 少し休んで、夕刻、食事の支度をしようとした時だった。父が畳の上で横になりっぱなしだ。「腰が痛くて思うように動けない」といった。話しかけても、「話さないでいてくれ」という。
何時もと何かが違う、ヘルパーさんも来ていたので相談をかける。次第に息遣いが荒くなる。熱が40度ある、血圧が170以上あるという、「とっさ」に救急車を呼ぼうと声が出てしまった。
 救急車に同乗し病院へ行った、診察結果は、肺炎と心不全の「再発症」との見立てだ、親の様態の急変に今日は気づくのが早く、今日のところはとほおっておいたら、おそらく今頃、死亡していただろう。
 介護が長くなりつつある日常だが、身内の急変や体の具合を察する能力とは、こうした中で培われていくのであろうかと痛感した。だんだん、この感覚、「研ぎ澄まされれ」て行くのだろう。
 こうした中で、人の心を思いやる気持ちが醸成されていくのであろうか。いろいろなことを考えつつも、今日は休むとしよう。まさにこの世の人生修行の最中なのかもしれない。思えばまだまだ、苦労が足りないようだ、そう思い寝るとしよう。


Posted by よっくん at 20:18│Comments(0)
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