一日一景(長谷寺・寒牡丹)…人とひとのであいとは!
2010年02月03日
この写真は、2004年の1月23日に長谷寺で撮影したものです。雪が結構、降っていたと思い出しています。土産物屋さんも、雪であまり客がこないのか仕舞い支度をされていたのではなかったでしょうか。
ある食堂で三重県のある市の写真クラブの会長さんとであい話をしたことも、記憶の中によみがえってきました。
この写真もフィルムのデータをCDに落としたものなのか、デジカメで撮ったものを保存したものなのかはわかりませんが。…
この会長さんとこんな会話をしました。「君も写真をやってるの。個展をひらくことはあるの…。」
言葉が出ませんでした。
「まだ、カメラをやり始めて、ひよこの状態です。それに、どの団体にも属してもいませんし、全くの一匹狼です。」…「それに、高価なカメラも、いいものを持っていませんし、満足な技術も持ってません。」
会長いわく、「いいカメラ・高価なカメラだけじゃいい写真は撮れないよ。値段じゃないよ。」
自分の右手で、左の腕を二・三回ポンとたたかれました。
人を感動させるのはということを考えるより、「まず、技術力を上げようと努力すること」、そして心臓をポンとたたかれ「人生何につけてもハートだよ。」と言われたと思います。
当時、あまり高くないカメラで写真を撮影している自分にとっては、がーんと頭を殴られた思いがしました。
奈良には、有名な入江大吉氏という写真界の巨匠がいますが、その方もよく知ってるといっていました。
話が弾むにつれ、「入江さんが若草山の山焼きの時、煙の中から当人が出てきてな…。」…・てな、話までしてもらいました。
今はなかなか撮影に出かける時間はありませんが、ふとカメラのシャッターを切るたびにそんな懐かしい会話を思い出します。教えていただいたんだなあと思います。
贅沢な趣味だ、まだまだ遊び心のない人からは、罪悪感を持って見られる風潮も、今の日本にはあると思います。
でも、「カメラ」はやはり、「ひと」と「ひと」のであいを、「会話」を創る架け橋の存在だと思います。
そんな出逢いの中で、「何年…立ったでしょう」と思いつつ技術力の進歩はありませんが、私に何らかの刺激になったことは事実です。それらの出逢いがなかったら、カメラはやめていたかもしれません。
あまり、ぱっとしませんがそんな思いのこもった奈良長谷寺の「寒牡丹」…これが私の今日の一景です。
下手でも私には、大好きな写真の一枚です今日は、話が長くなりました。これで、筆をおきます。

ある食堂で三重県のある市の写真クラブの会長さんとであい話をしたことも、記憶の中によみがえってきました。
この写真もフィルムのデータをCDに落としたものなのか、デジカメで撮ったものを保存したものなのかはわかりませんが。…
この会長さんとこんな会話をしました。「君も写真をやってるの。個展をひらくことはあるの…。」
言葉が出ませんでした。
「まだ、カメラをやり始めて、ひよこの状態です。それに、どの団体にも属してもいませんし、全くの一匹狼です。」…「それに、高価なカメラも、いいものを持っていませんし、満足な技術も持ってません。」
会長いわく、「いいカメラ・高価なカメラだけじゃいい写真は撮れないよ。値段じゃないよ。」
自分の右手で、左の腕を二・三回ポンとたたかれました。
人を感動させるのはということを考えるより、「まず、技術力を上げようと努力すること」、そして心臓をポンとたたかれ「人生何につけてもハートだよ。」と言われたと思います。
当時、あまり高くないカメラで写真を撮影している自分にとっては、がーんと頭を殴られた思いがしました。
奈良には、有名な入江大吉氏という写真界の巨匠がいますが、その方もよく知ってるといっていました。
話が弾むにつれ、「入江さんが若草山の山焼きの時、煙の中から当人が出てきてな…。」…・てな、話までしてもらいました。
今はなかなか撮影に出かける時間はありませんが、ふとカメラのシャッターを切るたびにそんな懐かしい会話を思い出します。教えていただいたんだなあと思います。
贅沢な趣味だ、まだまだ遊び心のない人からは、罪悪感を持って見られる風潮も、今の日本にはあると思います。
でも、「カメラ」はやはり、「ひと」と「ひと」のであいを、「会話」を創る架け橋の存在だと思います。
そんな出逢いの中で、「何年…立ったでしょう」と思いつつ技術力の進歩はありませんが、私に何らかの刺激になったことは事実です。それらの出逢いがなかったら、カメラはやめていたかもしれません。
あまり、ぱっとしませんがそんな思いのこもった奈良長谷寺の「寒牡丹」…これが私の今日の一景です。
下手でも私には、大好きな写真の一枚です今日は、話が長くなりました。これで、筆をおきます。

Posted by よっくん at 00:00│Comments(0)