明日香村・稲淵(彼岸花)

2010年10月01日

明日香村・稲淵(彼岸花)



 気がついたらやっと260投稿が終わったところです。まあ、ほんまにとてもないが原稿はともかく、写真は持つかなあと思えるのが、200稿を終えたぐらいから気になっておりました。まあ、300稿まで指をおりつつ
そぞろ歩きの日々になるでしょうなあ。全く行き当たりばったりでスタートしたのだから、仕方のないことかも知れませんが。

 このごろは、ちょくちょくと「彼岸花」を探し歩く日々ですか、東近江の能登川地域を歩いてみて、気がついたことを、記載したいと思います。昔は、よく小学校の帰り道、田んぼの畦や、お墓などによく彼岸花が咲いていたことを、(約30年前としておきましょうか。)、思い出します。昔は、現在の3反一区画の広い田んぼはなく、土地改良事業も実施される前は田んぼの区画は小さいものであり、田と田の境も小道が多くあり、畦には豆なども多く植えられていたと思います。・・・そうした中に、彼岸花も咲いていました。今の咲いている状態より、多かったと思います。昔は、飢饉などの対策に植えられ、アクはきついものの、あく抜きをすれば食べられる観点から、多く植えられたものと思います。

 また、愛知川堤などを歩いてみると、災害対策からでしょうか。モグラが土に穴蔵を作るため、「堤」を壊さないために、アクのきつい彼岸花は植えられたのではないかとも思います。愛知川堤でも、土の軟らかいところから、モグラに穴が空けられないように、植えたのかとも思われます。愛知川は、台風の時も堤防が決壊した歴史もあります。・・・彼岸花が植えられた「歴史」もそう言う背景があるのではと、考えます。

 そう言う観点から見ると、彼岸花のそこに咲いているのは、水害等の対策の「地域の歴史」があるからこそ咲いているということになります。花の咲くにも、歴史的理由があるのですなあ。

 と、思いながら。明日香村のことを書こうと思っていたのですが、何も触れずに・・・長くなってしまいました。写真は、明日香村稲淵・飛鳥川縁の彼岸花です。明日香村の棚田に咲く彼岸花・・・やはり、植えられた背景も歴史があるのでしょうね。(今日は、このへんで、終わりとします。)

 やっぱ、長くなりました。・・・明日は、短く「コメント」します。(おやすみやす)
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Posted by よっくん at 23:59│Comments(0)
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